現在四代目の 森田 一正 です。
皆様の御愛好を頂きまして、今年で創業130年を迎えることが出来ました。
当店は一子相伝で、代々味を守ってまいりました。

下記の文章は、三代目 (故) 森田 伝一 が平成6年(1994年)にしたためました。
どうぞご一読ください。


「有限会社生そば一福」は明治27年6月の創業で今年満100年になります。(平成6年6月現在)
初代森田伝蔵が鳥取より小樽に来たのが明治25年25歳の時で色内五丁目(現在色内二丁目三立機電の向かい小路)
の「丸吉」というのれんを下げた蕎麦屋に入店し、32歳の年に色内川尻で「一福因州屋」として独立開業しました。
度々の大火災にあい道路筋より現在の地へ移転しました。
明治20年代ごろは満足の出来る食堂もなく食べ物といえば飯、丼、そばくらいよりなかったのではないかと思う。
そばも、モリやカケで通貨も銅銭で紙幣には用のない零細営業でした。

当時役所では本州から移住してくる人達に本人の希望により無償で荒地を払い下げていた。ただし提供を受けた土地は必ず耕作しなければならない条件があった。
初代もその恩恵を受けたが十年間位い辛抱して貯金が出来たら故郷に帰へるんだという気持ちから先々土地の価など考へる事はしなかった。
しかし永年住み慣れてくると土地や家庭への愛着が出来以後昭和19年まで故郷へ帰へることはしなかった。
その後二代目森田哲央が引き継いで大東亜戦争及び戦後の苦しい時期を乗り越えて平成2年6月まで営業にたずさわってきました。
戦前、戦争より苦しかった物価が戦後になると増々苦しく統制々度がひかれ、私達の店でも昆布を主原料とした海宝麺を売り外食券制度ができたのもこの頃で昭和25年に廃止になるまで皆が物資を求めて東奔西走したのでした。

最近グルメ・グルメといってこだわりのある味を求めてテレビ局やラヂオなどで色々な食べ物を紹介宣伝しておりますが私たちの商賣をとってみても基本は製麺とだしの味付けであり、それをベースにした具の盛り合わせであります。
製粉会社の精巧な機械の導入により製粉技術が発達しより良いものができるようになりました。だしの鰹にしましても信用のある問屋さんより吟味してもらってより良いものをお召し上がり頂けるよう努力しております。

月日時代が変り三代目に亘って皆さま方から限りないご愛顧を頂いて100年となり「よくソバ一筋で生きてこられたなあ」と驚き考へ深く感心する次第です、必ずしも平坦な道ばかりではありませんでした、むしろ苦しいことのみ多かったように思えますが、
そのような時いつもお客様によって励まされ支えられてまいりました。
これからもお客様によりよいおソバと家庭的な雰囲気を味わっていただけるよう努力いたします。
二代目より聞いた話や私の記憶違いの点がありましたらご容赦下さい。
ありがとうございました。

初代 森田 伝蔵
二代目 森田 哲央
三代目 森田 伝一
四代目 森田 一正